国際青年会議所(JCI)とは?

JCIとは?

 自由な社会と経済発展を実現し、新しい社会をリードするにふさわしい人材育成を目的として、1915年にアメリカ・ミズーリ州セントルイスに生まれた小さな青年活動グループから始まったJC運動は、その活動が認められ,アメリカの社会的活動を担う主要な青年団体へと発展していきました。
 1944年には「積極的な変革を創り出すのに必要な指導者としての力量、社会的責任、友情を培う機会を若い人々に提供することにより、地球社会の進歩発展に資すること」を使命に、アメリカ、コスタリカ、エルサルバドル、グァテマラ、ホンジュラス、メキシコ、ニカラグア、パナマの8カ国によって国際青年会議所(JCI)が発足。その後、年々加盟国は増え、日本も1951年に加盟、JCIの一員として新たな活動の一歩を踏み出しました。
 現在、会員数26万人以上の世界で最も大きな青年団体です。現役メンバーに加え約250万人以上ものOBがいます。アメリカ42代大統領ビル・クリントン、第7代国連事務総長コフィー・アナン、フランス第5代首相ジャック・シラクも青年会議所のOBです。
 毎年11月には世界会議が開催され、日本では今までに東京、京都、大阪、名古屋、神戸が会場となり、2000年は札幌で開催されました。世界中のメンバーが一堂に会する重要な国際交流の場となっています。

JCの由来!

 Junior Citizens(若い市民) → Junior Chamber(ジュニアチャンバー)
 1905年の初め、セントルイスの若い銀行員、ヘンリー・ギッセンバイヤー・ジュニアは「社会において青年が真に活躍するようになるべきだ」と考えていました。
 1910年、ギッセンバイヤーはハーキュリアン・ダンス・クラブ(巨大なダンスクラブの意)をおこします。このダンスクラブは古いステップのダンスを保存することを目的としたものでした。その後、お酒がダンスに付きもののようになってきましたが、ハーキュリアンの会員はこうしたことに反発し、お酒が用意されている会場では踊りませんでした。
 そのため借りる会場はいつも修道院であり、この場所が自然とミーティングの場ともなっていきました。ハーキュリアン・ダンス・クラブは、1915年にその名称を「進歩的青年市民協会(YMPCA)」としました。このときギッセンバイヤーは32歳です。
 後に協会の会員たちは、「若い市民」(Junior Citizens)と名称を変えました。
これが「JC」の最初の由来です。1918年、ギッセンバイヤーとセントルイス商工会議所に友好関係をもったJCは「若い市民」を「青年商工会議所」と命名しました。
1920年1月22日、似かよった団体がギッセンバイヤーの下に集まり、セントルイス青年会議所が一つの協議会のもとに形成されました

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